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アントニ・ガウディー(Antoni Gaudi)1852-1926 スペイン

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バルセロナ南西の商業都市レウスに銅板機具職の子として生まれました。
バルセロナ県立建築専門学校を卒業した彼は、1878年のパリ万国博に手袋店の鉄とガラスでデザインしたショーケースを出品した際、彼の作品を見て才能を感じた、バルセロナを代表する資本家、エウゼビオ・グエル氏と出会いました。
その出会いをきっかけに多くの建築物を設計し、グエル邸、グエル公園、コロニア・グエル教会など、いくつもグエル名が付く建築を手がけました。その中でグエル邸、グエル公園は、ユネスコの世界遺産に指定されています。

1883年、彼はバルセロナのサグラダ・ファミリア大聖堂の主任建築家に任命され、以後、バルセロナとその近郊の重要な建築物の設計を手掛けていきました。
その中でもコロニア・グエル教会地下聖堂は、建築が途中で中止されてしまいましたが、彼の最高傑作と言われています。
その後、彼は1917年を境に、他のすべての仕事を断り、サグラダ・ファミリア大聖堂建築設計に晩年に掛けての、40年以上を費やすこととなります。

当時、熱心なカトリック教徒の彼は、親族や友人の相次ぐ死が受け入れられなかったり、同時期にバルセロナ市が財政危機に見舞われたことなどで、サグラダ・ファミリアの仕事が停滞するようになります。
さらに1918年、最大の理解者であるグエル氏が死去。かなり精神的に追い込まれた彼は、自殺をも考えるようになりますが、なんとか乗り越え、その後はまるで神への義務を果たさんかため、取り憑かれたように、この設計に没頭するようになります。
しばしば現場アトリエで寝泊まりしながら設計を続けたためか、ダンディーな彼でしたが、身なりにも一切構わなくなっていきました。

1926年、彼が路面電車に跳ねられた時に、浮浪者のような格好だったため、貧民の向けの病院に運ばれたことにより手当てが遅れて、二日後に息を引き取りその生涯を閉じました。
遺体はサグラダ・ファミリア聖堂地下に埋葬されています。

ガウディーについて、ビリャール教授が「悪魔か、天才か」、バルセロナ建築学校校長・建築家アリアス・ルジェンは「狂人なのか天才なのかは、時が経てば明らかになるだろう」と言ったと伝わっていて、いつかタイトルを、「アントニ・ガウディーに魅入られて」に変更する必要があるかも。
Tabi/世界の建築 2010年6月
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