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アルヴァ・アアルト(Alvar Aalto)1898-1976 フィンランド

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本名フーゴ・ヘンリク・アアルト(Hugo Henrik Aalto)ことアルヴァ・アアルトは、フィンランドの20世紀を代表する世界的な建築家であり、家具デザイナー。建築から家具、ガラス製品などの日用品もデザインしました。
グンナール・アスプルンドと並んで、北欧の近代建築家としてもっとも影響力があった1人であり、モダニズム建築においては単に理念中心の建築家ではなく、その人間的、有機的なアプローチで知られています。


1898年クォルタネ生まれ。ヘルシンキ工科大学で建築を学んだ後、展示デザイナーとして活動。
1923年にユヴァスキュラにて事務所を開設し、建築に転向、1924年に建築家のアイノ・マルシオと結婚したのをきっかけに、1925年には家具デザインに進出しました。アイノがデザインしたガラス食器、アアルト・ベースはイッタラ社が製作、積層合板の椅子、サナトリウム用のパイミオチェアなどの代表作はアルテック社が製作しています。

初期の作品は新古典主義に基づく作風でしたが、同時期に設計されたトゥルン・サノマト新聞社からは、モダニズムの作風へと転じました。パイオミのサナトリウムは、北欧においてモダニズム建築が顕著なものになるきっかけになった作品の一つであり、アアルトの代表作です。CIAMの終身会員に選ばれた時にヴァルター・グロピウス、ル・コルビュジエらと知り合いにもなり、人間的な近代建築を生み出すことに生涯をかけていきました。

1927年、コンペでトゥルクの農業組合本部・ヴィープリの図書館の設計を獲得した時、トゥルクへ事務所を移転します。そして1933年、ヴィープリの図書館の設計が再開するのをにきっかけに、その近くでもあるヘルシンキへ事務所を移転しました。
この時、ヴィープリの図書館に採用した、曲線による木製の天井をフィンランドの伝統的材料である白樺などの木材を用いたことで、それまでのモダニズム空間ではない、アアルト独自のモダニズムを進めるきっかけとなりました。それからはこの仕様が、アアルトの作風になっていきます。
さらにこれを進めたのが、絶賛を受けた1937年のパリ国際博覧会フィンランド館、1939年のニューヨーク国際博覧会フィンランド館の壁面やマイレア邸であり、同時期にデザインされたアアルト・ベースです。

(下の写真はアアルト自邸にある大きなアアルト・ベース)



1946年から48年までマサチューセッツ工科大学客員教授を務め、1957年には英国建築家王立研究所より、金メダルを授与されています。
一時はモダニズムの近代建築へのめり込みましたが、少しずつフィンランド風土に合う、アアルト・モダニズムデザインへ変化していきました。
1949年、妻のアイノ死去。1952年、建築家エリッサ・マキニエミと再婚。1963年~1968年にはフィンランド・アカデミー会長も務めました。

1976年、ヘルシンキにて没。没後の仕事は妻のエリッサに引き継がれています。


(下の写真は銀座松屋のイッタラで購入したアアルト・ベース)



Tabi/世界の建築 2010年8月
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