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シュレーダー邸/エラスムス通りの連続住宅

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オランダ第4の都市、ユトレヒトにあるリートフェルトのシュレーダー邸を紹介します。建物は立方体に近い形で、幾何学的・モンドリアンの抽象画と同じようにデ・ステイル派の典型的なデザインです。
エラスムス通りの連続住宅はシュレーダー夫人との共作で、シュレーダー邸のすぐそばにあります。


ヘリット・トーマス・リートフェルト
(Gerrit Thomas Rietveld) オランダ 1888-1964



オランダの建築家・家具デザイナー。
リートフェルトは家具屋の子として1888年ユトレヒトに生まれました。
父に弟子入りし、働く傍ら美術工芸博物館で学んだあと、1911年指物師として独立。
家具デザインや建築も手がけ、1918年デ・スティルのグループに参加して、翌年には自分の建築事務所を開きました。
リートフェルトは近代合理主義を代表する人物として、家具デザインと建築に新たな地平を拓いた人物として有名です。代表作として「レッド&ブ ルーチェア」「ジグザグチェア」などがあります。

1924年設計のシュレーダー邸は
、2000年にユネスコ世界遺産に登録されました。
「人間の創造力が生み出した傑作」「西洋建築の歴史上の重要かつユニークな象徴」の2点が、登録の理由だそうです。



シュレーダー邸(1924) ヘリット・トーマス・リートフェルト

デ・ステイルの特徴として水平、垂直線と3原色(赤、青、黄の他に白、グレー、黒の配色を用いた)の色使いで構成されています。
さらに彼は建物内のインテリア、家具のデザインも手がけました。
2階は昼間のワンルームから夜には3つの個室とLDKに仕切られる工夫がされていて、さらに浴室部分の間仕切りを収納することで、回遊性のある間取りになるなど、まるでパズルの様に感じました。
その他にもさまざまな仕掛があり、たとえば1階から2階に食事を運ぶときのための手で紐を引くリフト、窓を閉めたときに自動的にカギがかかる仕掛け、風通しのため上下2段になっている玄関のドア。南に面した2階の窓は開放しにした時に、角枠が残らないようになっているなど、彼が「建築が創造するのは空間である」という言葉を実現したままの建物になっています。
日本文化の影響もあったとされ、食堂、居間、寝室はすべて引戸で分けられています。

ガイドツアー(内部は写真撮影禁止)があり、実際にガイドさんがパーテーションをいろいろ動かして説明してくれますが、けっこう大変な作業なので、本人たちが毎日動かしていたかどうかは神のみぞ知るというところでしょうか・・・。
1933年までリートフェルトはこの邸宅内にスタジオを構え、また人生最後の6年間もシュレーダー未亡人と共に暮らしたそうです。

建設当時は高架道路がなく、窓からの見晴らしが良かったそうです。
重厚なレンガ造りの家がほとんであった当時、コンクリートとガラスを多用した住宅は、保守的な当時の人々には全く受け入れらなかったそうです。確かにそうでしょうね。
彼の作品は1919年のデビューから50年代まで知人宅かショップ、このシュレーダー邸などのパトロン的個人住宅しかありませんでした。
しかし折からのモダニズムブームでデ・ステイルが再度注目をあびて来て、これからという時の他界だったそうです。

その後、デ・ステイルは建築の世界であまり影響を与えなかったそうですが、彼が生きていたら変っていたのかも知れません。
しかし彼自身 もシュレーダー邸設計以降はその運動から少しずつ離れていったことを考えると、時代に逆行すると感じていたかも知れませんね。
シュレーダー邸が残ったのは、この保守的な土地柄の為という人々もいます。新しいデザイン、 考え方を世界に発信している国でありながらも、王室が存続し、伝統的な価値や歴史といったものを重んじている現代のオランダを見ているようでもありますね。



























レンガ造りの家とくっついて建築されています。



エラスムス通りの連続住宅(1935) ヘリット・トーマス・リートフェルト

住宅の機械生産を狙って設計されましたが、雨漏りで大変苦労したそうです。
当時(昭和10年)の周辺環境から推測すると、とってもモダンな集合住宅だったのでしょうね。
現在はオランダのナショナルミュージアムが買い取って運営し、室内の見学ツアーを行っています。





 













 



 












Tabi/世界の建築 2010年6月
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